トトカルチョマッチョマンズが200人を超える参加者を集め「大捜査線」を成功させたことにより、彼らに対する認知度は一気に高まった。
1998年11月27日付秋田さきがけ新報は、7段に渡るスペースを割いて「大捜査線」を紹介した。イベント冒頭の捜査会議に奈良真扮する流隼人が侵入するシーンや前沢明の妻に扮した鈴木美咲が羽後牛島駅で捜査員に話しかけられるシーンなど3点のカラー写真を使い、ゲームの進行状況を時間を追って描写し、トトカルチョマッチョマンズのコンセプトについても「古里に楽しいことをつくり出そう」という表現で説明した。記事は長谷川の言葉で終わっていた。
「『おれもやってやる』という気骨のある仲間が県内あちこちに増えて欲しい。楽しいことをやるのだから、堅苦しい動機はいらない」
同じ11月27日付の週刊アキタ「秋田論壇」には、あゆかわのぼるによる「若者達に注目せよ!」という論説が掲載された。あゆかわは「大捜査線」などトトカルチョマッチョマンズの活動を紹介し、秋田にラスベガスを作ろうという「イーストベガス構想」について伝えた。論説は次のように締めくくられていた。
「『トトカルチョマッチョマンズ』の無謀とも言える試行錯誤が始まったのだ。その通過点としての、今回の参加行動型ロールプレイングゲームだったのだろう。そして二百人もの若者達が、それに呼応してセリオンに集まった。私はその前夜、土崎地区のある集まりで話をしたが、試しに、そのことを知っているかと尋ねるとほとんどの人が知らなかった。」
「若者達は未来をイメージして動く。その若者達に見放されたくないなら、市民は、少しカゲキな若者達に注目することだ。」
秋田さきがけ新報と週刊アキタに「大捜査線」の紹介が掲載された2日後の11月29日・日曜日、雄和町の観光交流館「ヴィラ・フローラ」では、雄和町教育委員会と雄和町公民館が主催する「アキタエリア・ヤング《夢》交流~話さねば、始まらねべさ!シンポ’98inゆうわ」が開催された。
この催しは「夢を語り、夢の実現に向けて」をテーマとし、事例発表の一部、あゆかわのぼるがコーディネーターを務めるパネルディスカッションの二部、ゲームで交流を深める三部から構成されていた。
長谷川敦は夢広場21塾ヤング部会の部会長として参加し、一部の事例発表では、約40人の若者を前にして「秋田をこう変えよう、イーストベガス構想で」というテーマで発表を行った。この発表でもキーワードは「本質的な魅力」だった。彼は話した。
「今は道路が整備され、秋田新幹線も開通しました。そして飛行機もあり、確かに若者は東京に遊びに行きやすくなりました。しかし、東京の若者が秋田に遊びに来ることは考えられません。インフラとは二次的な要素なのであり、人口を増加させる要因にはなり得ないのです。」
「本質的な魅力とは普遍的なものであり、酒や性、ギャンブルなどです。つまり、ある種の刺激が必要なのです。よく地域の魅力再発見などとは言いますが、結局は民族芸能ばかり。それらは大事ではあるけれども、魅力ではありません。町づくりを考える人たちは、裸の王様を裸と言えないように、本質的な魅力が何かを言えないのです。」
「トトカルチョマッチョマンズが考える理想の町づくりとは、『イーストベガス構想』です。秋田をラスベガスにしてしまおうという発想で、『東のベガスに』という意味です。このモデルとなるアメリカのラスベガスは、人間を楽しませることをテーマにしています。イーストベガスも、大人や子ども、身障者など、だれもが行きたいと思う町にしたいのです。」
年が明けて1999年の正月、河北新報の秋田県内版は、「元気を出してがんばっている人」を5回に渡って取り上げた。その一回目として元日の紙面に紹介されたのはトトカルチョマッチョマンズだった。記事は「秋田が面白くないから、つくりかえようぜ!」というトトカルチョマッチョマンズのコンセプトやイーストベガス構想の内容を伝えた。この記事の中には長谷川の次の言葉が記載されていた。
「イーストベガスは絶対実現させます。百年でも二百年でもかけて、オレたちが死んだ後でも。秋田は変わることが必要だから。」
地域の中で存在感を増すトトカルチョマッチョマンズの活動と並行して、雄和町の夢広場21塾ヤング部会も活動を継続していた。
彼らは、前年8月に実施したラスベガスへの視察研修から戻って以降、その成果を文章にまとめる作業に取り組んでいた。1999年度(平成11年度)のヤング部会の活動は、専らその文書、「雄和町への提言書」の作成に向かった。
1996年4月、イーストベガス構想に明瞭な形を与えることを目標にスタートしたヤング部会は、しばらく手かがりを見つけられず暗中模索を続けた。しかし、今、彼らには「構想」の骨組みを提示する「三種の神器」があった。秋田という地域の現状と将来象を考える基礎となる21委員会「秋田をこう変えよう!」。日本でカジノを合法化する根拠となる谷岡一郎「ギャンブルフィーヴァー」。そしてラスベガスを都市計画の面から分析する手法を示す伊崎義治「ラスベガスの挑戦」。
それらに加えて、彼らには実際に自分の足でラスベガス大通り「ストリップ」を歩き、身をもってラスベガスのホテル、カジノ、ショッピング、ショー、レストランを体験し、その目で世界中から人々を吸い寄せる観光都市の魅力を確かめたという揺るがない土台があった。
ヤング部会の部会員たちは、最初に提言書全体の構成を決め、その各項目の担当を部会員に割り振った。人口・福祉が石井誠、ネバダ州・ラスベガス市の行政運営とホテル経営が渡辺美樹子、産業と交通・教育などのインフラが鈴木美咲、ギャンブルは伊藤敬などである。1999年に入り、各担当分野の執筆も最終段階を迎えていた。
年度末を間近に控えた3月、夢広場21塾・ヤング部会は「雄和町への提言書」を完成させた。この提言書は5つの部分から構成された。
最初に、彼らは雄和町の状況を分析した。この分析は若者の目に雄和町がどう映っているかという観点から書かれた。若者にとって雄和町は「故郷であるが、魅力がない」場所だった。
次に、「雄和町をこう変えよう」という主張をした。この先の雄和町を作り上げていくのは、間違いなく若い世代である。だから若い世代が主体となり意欲的に雄和町を魅力ある地域に変えよう。「足ひっぱり」、「ひやみこき」という言葉に表される「新しいものを求め努力することを嫌う」県民性を克服し、率先して行動する人間を尊ぶ組織風土を創ろうと述べた。それは2年前に雄和町の若者たちの前で講演した三浦廣巳が繰り返し語ったメッセージだった。
第三に、雄和町に「本質的な魅力」を与えるために、ラスベガスを手本にした街づくりをしようという「イーストベガス構想」を提言した。ここでは、人間の普遍的な欲望が肯定されていた。「本質的な魅力」とは、例えばアルコールを飲みたい、ギャンブルしたい、スリルを味わいたい、セックスしたいなどという刺激を求める欲望を禁じることではなく、コントロールすることにより応えるものであり、そのような「本質的な魅力」を具備した街がラスベガスであった。
秋田空港から車で10分圏内の場所に、カジノ、スポーツ、美術館、コンサートホール、ライブハウス、ただ同然で世界中のうまいものを振る舞うレストラン、テーマパークのようなショッピングセンター、豪華で大きなホテルを備えた街を創り、そこから上がる収益の多くを福祉に回す。それが、「イーストベガス構想」の具体的な内容だった。
続いて第四に、まちづくりの手本となるラスベガスの分析をした。
ラスベガスは、「全ての人間を楽しませる」という集客戦略に基づき、「普遍的な欲望」に応える「本質的な魅力」を具備したトータルエンターテイメントシティであると定義づけられた。続いて、自然環境、人口、企業進出と産業、雇用、交通、教育、文化、福祉、行政機能などの面からラスベガスという都市が詳細に分析された。
さらに、「ギャンブル」という項目に大きな部分を使い、ギャンブルの本質や役割、ギャンブル合法化に反対する人々の論拠と、それに対する反論の根拠に基づいてギャンブルのメリット、必要性について説明した。
最後に、彼らはイーストベガス構想の実現による、人口、産業、インフラ整備などの効果について述べた。
「雄和町への提言書」は、A4版の用紙約200ページに渡る文書だった。夢広場21塾ヤング部会が活動を開始してからここに至るまで、3年が費やされていた。