1997年8月9日、空は曇っていたが蒸し暑かった。夏の陽気の中でイネは出穂の時期を迎え、雄物川両岸の平地を緑色に染めていた。
雄和町役場から車で10分足らずの丘陵の上に秋田空港はある。その一帯は、屋根付きグラウンド「あきたスカイドーム」など種々の競技場を備えた県立中央公園スポーツゾーンとして整備されていた。
この日、長谷川敦たち夢広場21塾ヤング部会のメンバーは、秋田空港に集合した。社会教育課の浦山も出発する視察メンバーを見送るため空港まで来た。
浦山が役場内で視察実施の稟議を通すまでの苦労を知ってか知らずか、部会メンバーたちは傍目にも浮き足立っているように見えた。長谷川は2回目のラスベガスへの旅だが、これが初めての海外旅行となる者も多い。
その中で一番目立っていたのが伊藤敬だった。他のメンバーは、男性は地味なダークスーツやポロシャツ、女性はTシャツなど常識的な格好だったのに対して、敬は上下真っ白なスーツを着ていた。しかも敬のヘアスタイルは長髪であり、必勝の闘志を胸にラスベガスへ乗り込む孤高のギャンブラーもかくやといった雰囲気を漂わせていた。
もっともそのスタイルにも伊藤敬なりの理由があった。ヤング部会でラスベガス視察の準備をしていた時のこと、カジノは単なるギャンブルではなく「紳士の娯楽」だという共通認識が出来た。それで、視察研修の間に1日は全員、紳士の娯楽にふさわしい正装で過ごす日を作るということになった。正装と言ってもまさかタキシードではない。常識的にはスーツということになるが、「どうせならリクルートスーツみたいなものじゃなく、最高に目立ちたい」と伊藤敬は考えた。それで彼は結婚式用に作っていた真っ白なスーツを着ていくことに決めたのだ。
出発するメンバーたちの浮き立つ様子をよそに、浦山は複雑な心境だった。やっと視察研修の実施までこぎ着けたことには心底ほっとしていたが、その一方で、視察メンバーの安全が気がかりだったのだ。今回の視察研修に役場職員は同行せず、旅立つのは長谷川たちヤング部会のメンバーだけだ。それは行政が事業として行う視察としては異例だった。しかも、メンバーはほとんどが23、4歳であり大人と言ってもまだ駆け出しのひよっこである。
浦山はそんな若い町民だけをラスベガスに送り出すことを心配していた。ヤング部会と活動を共にするうちに、ラスベガスが多面的な魅力を持った観光都市であり世界中から観光客を集めていることを理解し始めていたが、「カジノとギャングの街」というイメージはまだ浦山の頭の中に残っていた。
それでも浦山は心配を胸の内にとどめ、長谷川たちに明るく言った。
「頑張ってこいよ。」
浦山が見守る中、ヤング部会メンバーを載せた旅客機は滑走路を離陸し曇り空の中へ消えていった。
視察メンバーは、まず秋田空港から羽田空港まで飛び、そこから陸路で成田空港へ移動し、成田空港から最初の宿泊地であるカナダ西海岸の都市・バンクーバーへと飛び立った。
日本からラスベガスへ行くにはロサンゼルスかサンフランシスコを経由する方が主要なルートである。しかし、海外旅行のハイシーズンであるこの時期、旅行エージェントも手を尽くしたが結局はバンクーバー経由のルートしか確保できなかった。
伊藤敬や石井誠たちは、生まれて初めての海外旅行にテンションが上がっていた。彼らは搭乗中の酒類がただで飲めると分かると、ビールを飲みまくった。
多くのメンバーにとって初めての海外の地、バンクーバー国際空港は広大な敷地を有し、ターミナルビルも巨大だった。長谷川たち視察メンバーは、現地ガイドの案内で空港から市街地へ向かいダウンタウンや公園などを訪れた。スタンレー公園は400ヘクタールの敷地を持ち、手つかずの自然やトーテム・ポール広場を含む。長谷川たちの目にバンクーバーは落ち着いて美しい街に映った。
最初の夜を空港近くのホテルに泊まった一行は、翌日の昼過ぎにバンクーバー国際空港を飛び立ち、視察の目的地・ラスベガスへと向かった。バンクーバーからラスベガス・マッカラン空港までは3時間弱の行程だった。
長谷川敦が足を踏み入れた日から1年半後、ヤング部会の視察メンバー8人は夕暮れが迫るマッカラン空港に降り立った。
空港から街の中心部に向かうバスの中、長谷川以外のメンバーは初めてラスベガスという都市を目にした。その都市は砂漠の中に忽然と姿を現した。
一行が宿泊するホテルはフラミンゴ・ヒルトンだった。フラミンゴ・ヒルトンは、長谷川が前年の卒業旅行の際に泊まったインペリアル・パレスに隣接し、ラスベガスの中心交差点・フォーコーナーの一角を占める。長谷川は、ホテル正面にあるフラミンゴの羽毛をイメージしたネオンサインを見て自分がラスベガスに戻ってきたことを改めて感じた。
視察の拠点としてフラミンゴ・ヒルトンを選んだのは長谷川だった。フラミンゴ・ヒルトンの前身、ホテル・フラミンゴは1946年、一人のマフィア、ベンジャミン・“バクジー”・シーゲルによって建設された。フラミンゴはそれまでラスベガスにあったホテルとは一線を画す洗練された外装デザイン、絢爛豪華なカジノフロアを持ち、カジノ以外にもヘルス・クラブ、ジム、サウナ・ルーム、テニスコート、プール、ゴルフ場も併設して、高級リゾートホテルと呼ぶにふさわしい内容を備えていた。トップクラスのエンターテインメント・ショーを開催し、映画俳優など著名人の社交場となったフラミンゴは、高級リゾートとしてのラスベガスの方向性を決定づけたカジノ・ホテルだった。ラスベガスの礎を築いたフラミンゴとベンジャミン・“バクジー”・シーゲルの物語を、長谷川は1991年公開の映画「バグジー」を見て知っていた。そのフラミンゴを継承するフラミンゴ・ヒルトンを選んだのは、ヤング部会の仲間たちに砂漠の小さな街から国際観光都市となったラスベガスの歴史を少しでも実感して欲しかったからだ。長谷川から勧められたメンバーたちは出発前にレンタルビデオ店で映画「バグジー」を借りて見ていた。
一行はそれぞれの部屋に荷をほどくと、フラミンゴ・ヒルトン前面のラスベガス大通り「ストリップ」に出た。すでに夜になっていた。しかし、ストリップは夜を感じさせないほどの華やかさに満ちていた。長谷川は一行を連れて、前回自分が歩いたルートをたどった。長谷川に案内されるメンバーたちは自分達を取り巻く光景に目を奪われていた。それは長谷川から言葉によって何度も聞かされ、事前にガイドブックなどの写真で目にしていたはずの光景だったが、思い描いていたスケールを遙かに超えていた。
ストリップの両側には、派手なネオンサインと明るい照明に照らされた巨大なカジノホテルが十数㎞に渡って建ち並び、各ホテルの前では大きな広告塔がそのホテルで開催しているエンターテインメント・ショーをアピールしている。通りは昼間と変わらないほど光に満ち、大勢の観光客が行き来している。それは、「世界一明るい街」と呼ばれるラスベガスの夜景だった。
伊藤敬は目の前のきらびやかな光景に困惑していた。テレビのディスプレイやガイドブックの紙面で見た光景に比べて、実際に見たラスベガスはあまりにスケールが大きかった。石井誠はひたすら驚いていた。特に、華やかな大通りに人があふれている情景が驚きだった。それは山と川に抱かれた雄和町の風景とあまりに違っていた。自分が今、この通りに立っていること自体が信じられないような気がしていた。斎藤美奈子は、全てが現実離れしている光景にショックを受けていた。一方で、出発するまで抱いていた「危ない街なのではないだろうか」という心配からは解放された。そこは女子だけでも安心して楽しめる街であることがすぐに理解できた。
「長谷川敦はこんな街を秋田に作ると本気で言っているのだろうか」
自分たちが目の当たりにしているラスベガスの途方もない規模に、ヤング部会のメンバーは誰もがその疑問を感じた。
長谷川は視察メンバーたちに国際観光都市・ラスベガスを案内しながら、各ホテルの特徴を、そしてラスベガスという街の「意図」を解説した。それぞれのホテルがはっきりしたテーマ性を打ち出し、その集合体である街は歩いているだけで世界旅行の体験を提供できる。街は訪れた全ての人を楽しませることだけに関心を払っている。長谷川は、前回のラスベガス来訪でも感じたことを言葉にしながら、改めてこの都市が持つ魅力を確認していた。
仲間達を案内しながら、長谷川はある変化に気づいていた。前回の訪問からわずか1年半しか経っていないのに、この街は大きな変貌を見せていた。MGMグランドとストリップを挟んだ向かい側のエリアに、新しい2つの巨大なカジノ・ホテルが建設されていた。MGMグランドの真向かいに建つニューヨーク・ニューヨークは1997年1月に開業したばかりで、その名の通りニューヨーク・マンハッタン地区をテーマにしている。摩天楼を模した建物の前にある自由の女神像がひときわ目を引いていた。ニューヨーク・ニューヨークの北隣には、1996年6月に開業したモンテカルロが落ち着きのある豪華な姿を見せている。モンテカルロは、南欧モンテカルロにある国営カジノをモチーフにしていた。
それだけではなかった。ストリップを挟むフォーコーナーの二つの角でも巨大なホテルを建築中であり、ラスベガスが絶え間のない変容の中にあることを示していた。
ラスベガスは眠らない街だった。長谷川たちヤング部会一行もホテルのバフェで食事したり、ホテル内のカジノで勝負をしたり、視察研修の準備文書に書いた通り、ラスベガス最初の夜をほとんど眠らずに過ごした。
日が変わってラスベガス2日目、長谷川たち視察メンバーはストリップを離れダウンタウンへ向かった。目的地はラスベガス商工会議所だった。ラスベガス訪問が遊びのためでなく街づくり構想を作るための視察である以上、ラスベガスの産業動向を知ることが不可欠だった。
とは言え、予め商工会議所にアポイントメントを取ってある訳ではなく通訳を用意してある訳でもないため、商工会議所の役職員にヒアリングすることような事は出来ない。
商工会議所に着くと、長谷川は女性職員に片言の英語でラスベガスの産業に関する資料が欲しいことを伝えた。女性職員は展示してある資料を自由に持って行っていいと答えた。商工会議所には、ラスベガス市の産業に関する展示室のような部屋があり、そこにはラスベガスの概要を表す地図の載ったパンプレットや、経済指標を示すグラフが多数記載されたパンフレット類が置いてあった。長谷川は、それらのパンフレット類を視察の成果として全種類カバンに入れ持ち帰った。
商工会議所のあるダウンタウンからストリップに戻ると、一行はグループに分かれて行動した。斎藤美奈子や鈴木美咲、渡辺美樹子ら女性陣は、主にニューヨーク・ニューヨークにあるローラーコースターなどのアトラクションやショッピングに時間を費やした。長谷川や伊藤敬、石井誠ら男性たちはカジノでの勝負を中心にラスベガスを攻めた。
視察メンバーは出発前にガイドブックにあるギャンブル・ゲームのルールを読んだり秋田市川反にある模擬カジノ体験の出来る店でいささかの練習をしたりしたが、有り体に言えばまったくの初心者であり、世界を代表するラスベガスのカジノでも初心者ならではの振る舞いを見せた。
伊藤敬は、かろうじてルールの分かるルーレットとブラックジャックだけで勝負したが、孤高のギャンブラーを思わせる真っ白なスーツ姿に似合わずゲームの駆け引きについては素人だった。例えば、ブラックジャックでは手札が合計18になっているのにヒット(カードをもう一枚もらうこと)して周りの客たちに「ワーオ」という声を上げさせるプレイ振りを見せ、当然のようにボロ負けした。
また石井誠は、カモとみられたのかアジア系の客につきまとわれ「俺に賭けろ」と騙されそうになったが、なんとか振り切った。
一人の男性メンバーは緊張のためかルーレットのテーブルに持っていた飲み物をぶちまけ顰蹙を買い、長谷川はと言えば近くの店で買ったインディアン風の服を着てカジノに現れ、ディーラーたちにどん引きされるなどの行動を見せていた。
女性たちもまったくカジノに足を踏み入れなかった訳ではない。せっかくラスベガスに来たのだからと、渡辺美樹子たちはカードゲームをひととおりやってみた。一回数ドル程度のささやかな賭だったが美樹子はゲームに勝ち、儲けたお金で斎藤美奈子におごった。
ラスベガス3日目、この日が視察の最終日だった。メンバーは二手に分かれて行動した。鈴木美咲や斎藤美奈子ら女性陣はバスでダウンタウンへ行き、フリーモントストリート・エクスペリエンスを見た。フリーモントストリートはダウンタウンのメインストリートである。そこで行われるのは、観光客をストリップに奪われたダウンタウンが客足を取り戻そうとして考え出したアトラクションだった。ストリートの4ブロック分を歩行者天国にして高さ27m、長さ450mのアーチ型アーケードで覆い、そのアーケードをスクリーンに210万個ものLED電球で様々な映像を展開する。コンピュータ制御の光と音がショーガールの歌と踊りを表現するLas Vegas Legentsなど華々しい光のスペクタクルが10分間に渡って繰り広げられるアトラクションは圧巻であり、美咲たちの目を釘付けにした。
男性陣は前日に続いてカジノでの勝負を挑み、滞在中の3日間でストリップにある主要ホテルはほとんど全て攻略した。
最終日の夜、長谷川は合流した女性陣と男性陣をホテル・スターダストに連れて行った。スターダストは北スリップ地区に位置する白い外観の巨大ホテルだった。ホテルの前で57mの高さにそびえるネオンサインは、古くからストリップを象徴する景観となっていた。視察メンバー揃ってのラスベガス最後の夕食はスターダストでのメキシコ料理だったが、長谷川の食事の選択はメンバーから不評を買った。
ただし、長谷川がスターダストにメンバーを連れて来た主要な目的は他にあった。夕食の後、メンバーたちはこのホテルで開催されているショー「エンター・ザ・ナイト」を観覧した。このショーは伝統的なダンス・レビューとハイテクのレーザーショーを組み合わせた出し物であり、さらに美人ダンサーたちによるトップレス・ショーというセクシーさもプラスされていた。長谷川は前回の来訪では、ラスベガスの魅力の大事な要素であるショーを体験できなかったこともあり、今回の視察では是非とも仲間たちにショーを見せたいと考えていた。
軽食と飲み物を味わいながら見た「エンター・ザ・ナイト」は当然英語で進行したためストーリー的には分からない部分が多かったが、それでも見ているだけで惹きつけられた。普通の舞台だった所が次の瞬間にはスケートリンクになっていてアイススケートの演技が行われたり、火や水やレーザー光線を使った演出も巧みで観ている者を飽きさせる隙がなく、視察メンバーは大いにラスベガスのショーを堪能した。
ショーを見終わったメンバーたちは、これがラスベガス最後の夜であることに寂しさを感じていた。長谷川から聞いていた通り、この街はカジノだけの街ではなかった。カジノが与えるワクワク感はもちろんのこと、ショッピング、アトラクション、食事、ショーなど客を楽しませる全てのものがラスベガスの不可欠な要素であり、分かちがたい魅力の一部だった。
視察メンバーたちは眠らない街、ラスベガスで最後の夜を眠らずに過ごした。
次の朝、夢広場21塾ヤング部会の視察研修メンバーたちは、3日間を過ごしたラスベガスに分かれを告げマッカラン空港から飛び立った。長谷川敦は、みんながラスベガスを十分に楽しみ、自分が話したラスベガスの魅力について分かってくれた様子に満たされた思いを味わっていた。