長谷川はジーンズにTシャツという出で立ちで、その上にジージャンを着ていた。今は2月だから季節で言うと冬になるのに、その格好でも寒さは感じない。行き交う人々には、いろいろな人種がいて、いろいろな服装をまとっている。白人、黒人、アジア人。長谷川は向こうから歩いて来るアメリカ人夫婦らしいカップルを見て目を疑った。揃ってでっぷりと太っている。日本では見たことがない程の太り方だった。海外から来たと思われる観光客も多い。頭にターバンを巻いたインド人らしい人、アラブ系と思われる服装の人。すれ違う時に耳にする観光客たちの言葉にも、明らかに英語ではない言語が混じっている。
観光客たちは、みんなこの街を楽しんでいるようだ。少なくとも、表情からはこの街に対して何の不安も感じていないことがうかがえる。長谷川は、自分が「ラスベガスが怖い」と言った時に旅行代理店の担当者が上げた笑い声を思い出した。
長谷川は自分自身、リラックスした気持ちになっていることに気づいていた。その感覚は、ロサンゼルスにいた時とは全然違っていた。いかにもビジネスの街という雰囲気のロサンゼルスには緊張感があった。ここラスベガスは全然違う。例えば、ロサンゼルスではタバコに対して厳しく、ほとんどの場所で禁煙を強いられたが、ここラスベガスでは路上の至る所に灰皿があるのだ。それはタバコを吸う長谷川にとってありがたかった。訪れる人がいかに心地よく過ごすか、この街にとってはその事が重要なのだ。
長谷川と友人は、ストリップを南に向かって歩いていた。
インペリアル・パレスから大通りを挟んだ向かい側には、屏風を広げたような形のクリーム色に輝く大きなホテルがあった。ビルの前庭にはヤシの木の茂みと滝の流れ落ちる池が見える。ビル最上部に書かれたアルファベットは「ミラージュ」と読めた。
ミラージュの南隣には、ストリップに面して古代ローマ風の門がそびえ立っていた。長谷川たちは興味を駆られてその壮麗な石柱のある門をくぐった。門から続く建物の内部に入ると、そこは今まで足を踏み入れたことのないような空間だった。通路の両側に二階建てくらいの高さの建物が並んでいる。そのファサードは古代ローマの石造りの建築物を模していた。建ち並ぶファサードの上部、長谷川たちがいる空間の天井は緩やかなアーチ状をしており、そこには明るい青を背景にして白い雲が描かれている。それは空だった。つまり映画セットのように、建物の内部に空までを含めて古代ローマの街並みが再現されているのだ。通路は直線ではなく微妙にカーブしており、至る所にローマの衣装をまとった人物像が飾られている。所々には小さな広場があり、ある広場では中央で噴水が水音を立てている。長谷川は見知らぬ街に迷い込んだような感覚を味わっていた。
通路の両側に並ぶ建物は、それぞれが商品を展示、販売しているショップだった。ルイ・ヴィトン、ティファニー、グッチ、フェンディ…名だたる高級ブランドショップもきら星のごとく軒を並べている。そんな高級ブランド商品はとても手が出せない価格だろうと想像できたが、店をのぞいて歩くだけでも面白かった。
高級ブランドだけではなく、カジュアルなショップや土産物を売っているワゴンもある。広い販売エリアを持つ女性用下着の店、軽食を取れるカフェや本格的なレストランもあった。客たちは古代ローマの街を歩きながらの買い物を楽しんでいた。長谷川たちも通路の先に次々に現れる店でウインドショッピングしながら、知らず知らずのうちにモールを一巡りしていた。
気がつくとその空間の天井、すなわち空の表情が変化していた。いつの間にか色合いが変わり青空から夕焼け空になっていたのだ。こんな所にまで独創的なアイデアが盛り込まれている。長谷川は感心するばかりだった。
ショッピングモールからは抜け道のように続く通路があり、その先はホテルのカジノエリアに接続していた。そのホテルはショッピングモールと共通の古代ローマをテーマにしており、ホテル名も「シーザースパレス」とローマ皇帝・シーザー(カエサル)の名を冠している。
ホテルの外に出ると、そこはフォーコーナーの一角を占める位置だった。シーザースパレスは前庭に噴水のある池を配し、その建物はローマ帝国の威光を今に伝えるかのように重厚な雰囲気を漂わせ、辺りを睥睨していた。