特定非営利活動法人
イーストベガス推進協議会

第3章「構想」 1.誕生

長谷川敦は自分のベッドで目を覚ました。頭がズキズキ痛む。もう昼頃だった。

昨夜は、講演を一緒に聞いた伊藤敬や同年代の雄和の知人たちと、川反で夜更けまで飲み続けた。その後、どうやって自分のうちまで帰って来たか、おぼろげな記憶すらない。ただ、川反で飲みながら皆が熱くなって話していた光景は覚えていた。

秋田を変えよう。どう変えるのか。どうやって変えたらいいのか。
もとより過度のアルコール摂取により深く酔いが回った頭脳では、一生懸命考えたところで画期的な解決策が浮かぶはずもない。何度も聞いたようなありきたりの提案、現実からかけ離れた妄想、単なる無い物ねだり、極度に楽観的な観測、そんな意見が行き交った。それでも、誰も議論を放棄せず自分の考えを言い合った。
しかし、どこかに必ずあるはずの答えを求めながら、結局、目的地から遠く離れた真っ暗な地の果てをさまよい歩いただけだった。

そんな徒労感を覚えながらベッドから起き上がろうとした長谷川は、ズキンと頭痛に襲われ思わず目を閉じた。そして、しばらくして痛みが少し薄れてきた時、もう一度ゆっくり目を開けた。

その12畳の広さを持つ部屋は自宅の二階にあった。フローリングの床の上には、長谷川がいるベッド、ウィンドウズ・パソコンを載せた机、本棚、テレビがある。ベッドで横になったまま目を開いた長谷川は、視界の明るさを意識した。窓から陽光が入り込んでいる。空は晴れていた。
冬の間、秋田の空はほとんど常に灰色の雲に覆われている。その雲は日本海からやって来て大量の雪を降らせ、雪は風景の全てを覆い尽くす。今、空が晴れ日が差しているという事実は、冬の終わり、春の始まりを意味していた。

長谷川はぼんやりと窓の陽光を見ていた。不意に脳裏で、目の前の光に重なるように一つのイメージが立ち現れた。それは青い空の下、乾燥した大地の上に屹立する、光に満ちた都市の姿だった。
長谷川は心の中で、つい数日前に自分の足で立っていたその都市の名をつぶやいた。
「ラスベガス」
その瞬間、何かが稲妻のように長谷川敦を打った。
これが答えじゃないのか。必死で追い求めていたものはこれじゃないのか。
長谷川は、自分にショックを与えたものの正体を確かめようと、痛む頭で一つ一つ考えを積み上げ始めた。

昨日俺は、秋田をどうやって変えようか考えていた。俺だけじゃない。みんなも一緒に考えていた。
一体なぜ、秋田を変えようと考えたのか。
それは、秋田から友達がみんないなくなるからだ。そんな場所は寂しくて、つまらない。好きな秋田がそんなつまらない所なのは嫌だ。
じゃあ、なぜ友達がみんな秋田から出て行くのか。
それは、秋田には働く場所も、遊ぶ場所もないからだ。だから、人は外へ出て行き、人口が加速度的に減っていく。ますます、秋田は寂れていってしまう。
では、どんな秋田にしたいのか。
それは、人が出て行く所ではなく、人が集まってくる所だ。そのために必要なのは、人を強く惹きつける魅力だ。

人が集まる魅力を持った街。ラスベガスこそ、そういう街じゃないのか。
ラスベガスは、訪れる全ての人を楽しませようとしている。カジノ、ホテル、ショー、ショッピング…。そこはあらゆる方法で人を楽しませるトータル・エンタテインメント・エリアだ。楽しいから世界中から人が集まる。集まった人たちは街に金を落とす。いろんな産業が興り、働く場所が生まれる。だから人口も増加する。ますます街は賑やかになり、魅力が増して、人が集まってくる。そんな素敵なサイクルが実現している。

こういう方向で街を作ったら、秋田は人が出て行かず、反対に人が集まって来る所になるんじゃないか。秋田から出て行った友達もまた戻って来る。
しかも、ラスベガスはロサンジェルスや東京みたいな街じゃない。ラスベガスはもともと大都会じゃなくて田舎だった。田舎どころか砂漠の何もない所だったんだ。何もない砂漠の上に作った街、それなら秋田にも出来ないはずがない。
長谷川が一つ一つ積み上げていった考えは、ジグソーパズルの正しい配列のように隙間なく、論理の空間を埋めていった。

秋田にラスベガスを作ろう。そうすれば、沈滞している秋田は、新しい秋田に生まれ変わる。
パズルの最後のピースが、残りの空いていた場所にぴたりと嵌まった。
これだ。これが答えだったんだ。その確信は長谷川敦を興奮させた。

秋田にラスベガスを作る。これはドリームプロジェクトだ。下水を引くとか、温泉を掘るとか、そんなちまちました話じゃない。取り組み甲斐がある壮大な企てで、やること自体が楽しくて痛快な計画だ。

これは、東洋のラスベガスを作るプロジェクトだ。
「イーストベガス」
長谷川敦は、自分がたった今生み出した構想に、そういう名前を与えた。