特定非営利活動法人
イーストベガス推進協議会

第3章「構想」 2.恋人

長谷川敦は、自分が考え出したプロジェクトに瞬時にして夢中になった。秋田を生まれ変わらせる「イーストベガス構想」、それは考えれば考えるほど完璧なものに思えた。この構想は秋田を実際に変える力を持っている。とは言え、砂漠の上にラスベガスを築いたように、一つの街を丸ごとゼロから作るプロジェクトだから、完成までには相当の年月がかかる。実現のためには早くスタートさせた方がいい。

その日の午後、普通ならひどい二日酔いに悩まされているはずなのに、居ても立ってもいられないほど気分が高揚していた。誰かに構想のことを話したくてたまらなかった。
「そうだ。美由紀に話そう。」
長谷川は思った。ちょうどその日、高橋美由紀と会う約束をしていた。

長谷川と美由紀が初めて会ったのは、お互い中学1年生の時だった。その学年の3学期、美由紀は親の転勤で宮城県から雄和中学校に転校して来た。
「可愛い子が転校して来た。」
そのニュースは、小さな学校の中ですぐに生徒全員に共有された。長谷川は教室を出て、先生に案内されて廊下を歩く美由紀を、階段の上から覗き見た。美由紀もそれに気づき、階段の手すりに乗りかかるようにして自分を見ている長谷川と目が合った。

その後、美由紀は秋田市内の高校、短大を卒業して不動産会社に就職し、長谷川より一足先に社会人になった。そして今、二人は22歳で、付き合っていた。

二人が逢瀬の場所として選んだのは、秋田市の有楽町にある洋風の飲食店だった。有楽町は古くからの映画館街である。だだし、最近は映画人口の減少とともにかつての賑わいを失いつつあった。

先に店に着いた長谷川敦は、カウンター席で美由紀の勤務時間が終わるのをじりじりする気持ちで待っていた。頭の中はすでに美由紀に告げたい事でいっぱいだった。店のドアから美由紀が顔を見せた時は、自分でも顔がほころぶのが分かった。美由紀もすぐに敦を認め、やって来て隣に座った。二人はピザとビールを頼み、会話を始めた。

敦はラスベガスの話から始めた。アメリカ旅行から帰って以来、今日が初めて美由紀と会う機会だった。ラスベガスの街がどんなに楽しいところだったか、そこに行って自分がどんなにわくわくしたか、それを美由紀に伝えたかった。
「こっち見れば古代ローマがあってその街の中で買い物できるし、あっち見ればピラミッドがあってスフィンクスもいるし、歩いてるだけで世界旅行が出来るんだよ。」
「へー、そうなんだ。」
美由紀も微笑みながら話を聞いている。敦はその反応に満足していた。

次に敦は、あゆかわのぼるの講演を聞いた話をした。話題は楽しさにあふれたエンターテインメントの街の事から一気に現実の厳しさに移り、口調も自然と重いものになった。
「あゆかわさんが言ったのは、せやみこぎとか足ひっぱりとか、秋田県人の悪いところの話なんだけど、…結局、秋田の人は怠け過ぎていて、若者にとっては地獄で、若い人はみんなここから出て行ってしまうっていう事なんだ。」
「へー、そうなんだ。」
言葉は同じだったが、美由紀の口調はやはり沈んでいた。敦はその反応にも満足した。美由紀は、自分が話した事をちゃんと分かってくれている。

ここしかない。敦は思った。自分が今日生み出して、そして夢中になっているドリームプロジェクト、イーストベガス構想を美由紀に話すのは、今だ。敦は昂ぶる気持ちを込め、勢い込んで言った。
「それでさ、俺、考えたんだ。秋田にラスベガスを作る。」
敦は期待を込めて美由紀を見た。美由紀なら、きっとこのアイデアを聞いて一緒になって興奮してくれる。そう思った。

「どうしたの。」
それが、恋人の反応だった。美由紀はぽかんとしていた。期待は完全に空振りに終わった。美由紀は自分が言っている事が飲み込めていない。敦はそう思った。

確かに、美由紀には飲み込めていなかった。もちろん敦が話した内容は理解していた。ラスベガスに行って楽しかったことは伝わってきたし、あゆかわのぼるの講演を聞いてこのままの秋田じゃいけないって思ったことも分かった。
美由紀に飲み込めていなかったのは、なんで敦が秋田にラスベガスを作るなんて言い出したのかという事だった。なぜこんなに興奮しているのかも分からなかった。

今までも敦は、自分と会う度にいろんな話をした。
それは、今度みんなでこんな遊びをしようという企画だったり、二人であそこへ旅行しようかという提案だったりした。そんな話をする時の敦の様子は、中学生の時から変わっていないような気がする。敦は、雄和中学校で会った時からそんなふうに美由紀にいろんな話をしていた。

最近は、こんな会社を作って、秋田でこんな事業を始めるという計画を話すことが多くなっていた。会社の規模や事業の内容はその都度、様々に異なっていたが、本気なのか冗談なのか、面白そうに語る敦の話を聞いているのは楽しかった。

またある時は、突然、敦が「ソマリアに行く」と言い出した。それはソマリア紛争が泥沼化して猖獗を極め、新聞やテレビのニュースでも伝えられていた時のことだ。敦は単身ソマリアに乗り込み、紛争を解決すると言った。その時ばかりは、美由紀は必死になって止めた。敦が本気でそう言っていると分かったからだ。
もし、その時、敦が美由紀の哀願を容れてソマリア行きを思いとどまらなかったら、二人は今、こうして会っていなかったかも知れない。当時のソマリアは、誰かが一人で紛争を解決することはもちろん、いったん足を踏み入れたら再び無事に帰ってくることさえ期待しがたい地域だった。

美由紀にとって、今日この店で聞いたアイデアは、今まで敦が自分に語ってきた様々な話の一つとしか受け取れなかった。ただ、今まで聞いてきた話との違いがあるとすれば、それは、敦が今日の話をした時の熱さだった。どうして敦はこんなに熱くなっているんだろう。美由紀には理解できなかった。

美由紀の反応を見て、敦は少し反省した。
勢いにまかせて話をはしょり過ぎたかもしれない。結論を言うのがちょっと唐突だったんだ。それで考えが美由紀に伝わらなかったんだろう。敦は、もう一度、出来るだけ順々と筋道立てて話した。

「つまりさー、秋田からみんないなくなっちゃうのは、それだけ秋田に魅力がないってことだべ。それに働く場所もないし。ラスベガスには魅力があるんだよ。魅力があるから世界中からみんな遊びに来るんだ。俺が行った時も、世界中から観光客が来ていたんだ。ターバンを巻いた人、アラブ風の人、アジア人、もちろん白人も黒人も。もう道なんか人があふれるくらい。」
美由紀は興味深そうに聞いている。敦は少し手応えを感じた。
「それでさ、そんなふうに世界中から人が集まるって来るっていうことは、みんなそこでお金を使うでしょ。だから、カジノもホテルもレストランも、ショッピングする店も儲かるし、そこで働く人を雇う訳だから、職場も増えるってことなんだ。それで職場がたくさんあるから他の所からも人が来て人口も増えるでしょ。結局、観光客が集まるだけじゃなくて、住む人も増えるんだよ。秋田にラスベガスみたいな街を作れば、そんなふうに観光客も集まるし、職場も増えるから若い人も県外に出ていかなくて良くなるっていう訳なんだよ。」
敦は、また期待を込めて美由紀を見た。今度こそ分かってくれたはずだ。

「ふーん、そんなこと考えてるんだ。」
敦が思いを込めて語った構想を、美由紀は軽く流した。

のれんに腕押しだった。今度は、敦がぽかんとする番だった。美由紀はこのアイデアに食いつくと思ったのに、このそっけない態度は何なのだろう。一緒に遊ぶ話や旅行する話には、もっと乗ってくるのに。
これ以上、言葉を重ねても、美由紀の気持ちを熱くできるとは思えなかった。この話はいったん切り上げよう。敦はグラスの中のビールを飲み干した。

そもそも、美由紀と今日会うことにしたのは、イーストベガス構想を話すのが目的ではない。前回二人が会った時から、敦がアメリカに旅行していた期間を含めて1か月近くが経っていた。
敦は、あらためて隣にいる美由紀を見た。美由紀が着ている服は前に会った時より生地も薄く、幾分春向きのものに感じられた。その横顔は、敦の記憶にあるイメージと比べて、少しだけ大人びて、そして女らしく思えた。敦は、その時まで思いついた構想を話すことに一生懸命になっていて、その変化に意識を向けていなかった。

久しぶりに会った二人には言葉を介在させない会話も必要だった。気がつけば、皿の上のピザもなくなっている。
「行くか。」
敦の言葉に、美由紀は黙って席を立った。
恋人たちは、春まだ浅い夜の中へと、店のドアを出た。