特定非営利活動法人
イーストベガス推進協議会

第7章「発信」 2.知事へのラブレター

その頃、あゆかわのぼるは、NHK秋田放送局のローカル番組に週1回レギュラー出演していた。「アイeye秋田」というタイトルの番組で、放送時間は昼前だった。

長谷川からの誘いに応じて「トトカルチョマッチョマンズ結成会」に参加し若者たちと一緒に飲み語り合ったあゆかわは、彼らのエネルギーに感心し、その活動を番組で採り上げようと思った。この番組は「元気な秋田」を探して紹介することをテーマにしており、題材としてトトカルチョマッチョマンズはぴったりだと思われた。あゆかわは番組の取材のために長谷川と会った。

トトカルチョマッチョマンズを採り上げた「アイeye秋田」は、結成会の翌月、5月に放送された。番組は、トトカルチョマッチョマンズの活動の紹介と、長谷川へのインタビューで構成されていた。
これまでの活動内容については、メンバーが撮っていた写真を基にして「ゴミ拾い大会」、「レディースフォーラム」、「トトカルチョマッチョマンズ結成会(花見)」が紹介された。インタビューは雄和町のサイクリングターミナルという施設で行われ、長谷川はあゆかわの質問に答えて次のように話した。
「私たちは秋田の現状に満足していません。だからといって秋田を見放しても、泣き言を言っても、愚痴っても何も変わりません。私たちは将来ともここで生きていきます。だから、秋田を変えるために行動します。」
あゆかわは番組の中で、雄和町が長谷川たちの情熱に応え夢広場21塾ヤング部会という活動舞台を与えていることに対して「本質を見る眼力、形骸化した旧い習慣を打破する勇気を持っている」と評価した。

トトカルチョマッチョマンズたちは、4月の「結成会」で秋田県知事へのメッセージを布にしたため県庁玄関のガラスドアに貼ったが、それが知事の目に触れたとは思えなかった。きっと警備員によってすぐ剥がされてしまっただろう。そう考えるのが普通だった。それでも長谷川は諦めず、知事と直接会って話す機会を探していた。

そんな時、安田琢が1つの可能性を見つけてきた。それは新聞に載った「知事面会制度」の記事だった。琢からその話を聞いた長谷川は、一も二もなくその制度に応募することにした。応募書類は、琢が県庁から入手した。書類の作成も琢が担当し、通りが良さそうな文章を書いて県庁に提出した。

思いがけないことに、約1か月後、知事面会制度の対象に選ばれたという書類が郵送されてきた。面会の日時は7月7日・月曜日、午前10時からと指定されていた。知事面会に参加できるのは3人までという制約があった。

面会日時は平日の日中であり、会社勤めをしているメンバーは参加が難しい。しかし、まず長谷川はトトカルチョマッチョマンズの代表として絶対に出る必要がある。長谷川は「歯医者に行く」という口実で参加することにした。安田琢も、営業職で外出が多いためなんとかなると思われた。もう一人、参加させたかった奈良真は、新入社員という立場でしかも内勤のため、どうしても面会に参加するのは不可能だった。結局、最後の一人はいつも「コロボックル」というあだ名で呼ばれているメンバーが選ばれた。

面会に出られない奈良真には、その代わりに、面会の際に知事に渡す書類の作成が任された。その書類には「知事へのラブレターTake2」というタイトルが記された。それが「Take2」なのは、彼らにとって結成会の時に県庁玄関に貼った白い布が「Take1」だったからだ。
イーストベガス構想はまだ文書に表すほどきちんとした形になっていないため、「知事へのラブレター」では「構想」について直接は触れず、知事への提言として「若者が行政に参加できる場をもっとたくさん作って欲しい、若者にも発言権を与えて欲しい」という要求を書いた。

長谷川は、秋田を変えるのは自分たちだと思っていた。あゆかわのぼるが講演した地域の現実がまだ胸に残っていた。
現状に安住し、新しいことを始めようとする動きを毛嫌いする大人たち。そんな大人たちに秋田を良い方向に変えるなんて出来るはずがない。自分たちならそれが出来る。もっと自分たちに発言の場を、力を発揮する機会を与えてほしい。その気持ちを新しい為政者に伝えたかった。

提言を行うため、知事へのラブレターは次のように論理を展開した。
1 若者が秋田に定住するためには秋田に「本質的な魅力」が必要である。
2 本質的な魅力とは「人間の普遍的な欲求を満たすもの」であり、ラスベガスという都市はそのような本質的な魅力を持っている。
3 若者が行政に参加する場をもっと作って欲しい、若者にも発言権が欲しい。
4 我々トトカルチョマッチョマンズは、「秋田が面白くないのだったら面白くしてやろう」という考えで活動している。4月には県庁玄関に知事への思いを書いたシーツを貼り付けたが、きっと知事はご存じないでしょう。

論理展開という面では若干の齟齬があるものの、これが長谷川が知事に対して言いたいことだった。ただし、その文書の作成を任された奈良は非常に難儀した。この4月にトトカルチョマッチョマンズに加わったばかりの奈良は、夢広場21塾ヤング部会で作成した文書などを長谷川から渡され、それを基にして知事へのラブレターを作成するように言われた。

奈良は自宅にもパソコンを持っていたが、それは大学時代に買った古いもので会社のパソコンの方がサクサク動いた。それと会社のレーザープリンターの方が綺麗に印刷できるという理由から「ラブレター」作成を勤め先のパソコンで行った。しかし、長谷川の考えを聞きながら自分が作成に関与していない文書を継ぎ接ぎして新たな文書を作ることは至難の業だった。さらに時間もなかった。
文書を作っては長谷川の指示を聞いて修正する作業を繰り返したが、7月7日直前の週末になってもまだ文書は完成していなかった。

面会日前日の日曜日、奈良はだれもいない会社に出てラブレター作りに取りかかった。県知事のような公的な立場の人に読ませる文書を作ることなど初めてで言葉選びに慎重になったこともあり、表紙を含めて7ページの文書の作成は極度に長引いた。夜になり、夜半が過ぎ、そして空が次第に白み始めても文書は完成しなかった。

そして朝6時、思いもよらない時刻に所長が出社してきた。所長は、早朝にパソコンに向かっている奈良を見つけた。その姿からは、新入社員が休日に出社して徹夜で何かしていたことしか考えられなかった。所長は当然のことながら、奈良に「何をしている」と訊いた。
奈良はとっさに、これは誤魔化しきれないと判断し、「県知事に渡す手紙を書いています」とありのままに言った。奈良は怒られることを覚悟したが、所長から返ってきたのは「みんなが出社してくるまでソファーで寝てるか」という言葉だった。

全くの偶然から、奈良が勤める住宅メーカーの社屋は長谷川が勤めるマスブレーンズコアの隣だった。奈良が何とか完成させた知事へのラブレターを隣の会社に出社してきた長谷川に渡すという綱渡り的なプロセスを経て、面会日の朝に長谷川は文書を手にすることが出来た。

奈良がラブレター作成に悪戦苦闘していた頃、知事面会に参加する長谷川、琢、コロボックルの3人は入念に面会のリハーサルを繰り返していた。面会時間は15分と限られており、奈良が作成している文書の内容を全て話すのは無理だと考えられた。したがって、文書は後で知事に読んでもらうことにして、その導入となるような話の展開をいかに知事を前に行うか、3人で検討してストーリーを練り上げ、何度も実際に話して練習した。

こうして彼らは万全の準備を整え面会当日を迎えた。彼らは約束した時間通り、県庁に集合した。3人ともネクタイ、スーツ姿だった。面会時間まで彼らは知事室の前で待たされた。そして時間となり、秘書課の担当者の案内で3人は知事室の中に導かれた。知事室の中では、知事の両側に何人もの県職員がずらりと並んでいた。

秋田県知事・寺田典城は、長谷川たちを見るなり顔に笑みを浮かべて「お、若くてかっこいい人たちが来たな」と言った。そして15分間の面会時間のうち10分以上、寺田知事は話し続けた。時に県庁職員が知事に代わって話した。その内容は、「ほんとに若い人たちだね」、「若い人たちにがんばってほしい」、「君たちの服はかっこいい」、「靴が素敵だ」、「トトカルチョマッチョマンズという名前は面白いね」などというもので、長谷川たちの面会の目的には一切関係のない話だった。寺田知事と県職員はそのような話を続け、長谷川たちがリハーサルしてきた話を切り出すきっかけを与えなかった。

面会終了も押し迫った頃、やっと長谷川が話す機会を与えられた。長谷川は用意していた「若者が地域のためにもっと発言できる機会を作ってください」という提言を県知事に話した。そして「私たちの言いたい内容はここにまとめてあります。後で読んでください」と言って奈良が徹夜して作った「知事へのラブレターTake2」を知事に手渡した。それに続けて長谷川は言った。
「今日は私たちの言いたいことを十分話す時間がありませんでした。知事、今度一緒に焼き鳥屋に行きましょう。焼き鳥屋でゆっくり話を聞いてください。」
焼き鳥屋への誘いはその場で思いついたものではなく、言いたい内容が十分言えなかった時のオプション「プランB」として予め準備したものだった。寺田典城は、その誘いに対して言った。
「いいよ」
長谷川はすかさず切り返した。
「じゃあ、約束ですね。指切りしてください」
長谷川はそう言うと、寺田典城の目の前に小指を差し出した。寺田はそれに応じ、長谷川と指切りをした。その時、安田琢とコロボックルは、手拍子しながら歌い出した。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます」
指切りの時に琢とコロボックルが歌うという行動も、オプションとして準備したことであり、リハーサル済みの行動だった。

「では、時間となりましたので面会はこれで終わりです」
県職員の言葉で、長谷川、琢、コロボックルの3人は知事室から出された。知事室から出てくる瞬間、長谷川は「負けた」と思った。敗北感で胸がいっぱいだった。
県知事に話そうと準備してきた内容はほとんど話すことが出来ず、3人がリハーサルした事でまともに実行できたのは寺田との指切りくらいだった。

秋田県知事は最初からこちらの言うことを聞くつもりなど全くなく、県民と面会しましたという実績作りのパフォーマンスとしか考えていない。長谷川はそう思った。しかし、自分たちの話に耳を傾けなかった寺田に対する憤りの一方で、彼は自分の考えの甘さも思い知らされていた。会えば何とかなる、話せば分かってくれる。そんな考えは幻想だった。直接会ったからといって何とかなるものではなかった。長谷川は、物事を自分の思っている方向に進めるには事前の根回しが必要だと思った。

面会の中で秋田県知事・寺田典城と交わした「一緒に焼き鳥屋に行く」という約束は、その後、果たされることが無かった。