年が改まった1997年の1月下旬、長谷川敦は一般の人たちにイーストベガス構想を話す機会を得た。それは、レディースフォーラムと同様に秋田県連合青年会が主催する「第41回秋田県青年問題研究集会」という催しだった。秋田市のジョイナスで開催され、地域の青年グループ代表や市町村の青年教育担当者など約40人が参加した。
この催しで長谷川は、地域づくり活動をおこなう若者グループ・トトカルチョマッチョマンズの代表として、実践報告を行った。彼は次のような内容の話をした。
「自分たちが生きていく秋田を、自分たちで面白くしていかなければいけないと考え、トトカルチョマッチョマンズを発足させました。『秋田にラスベガスを作る』ことを目標に、自分たちが勉強し、行政を含めてネットワークを広げていきたいと考えています。」
この青年問題研究集会の模様は、地元紙・秋田さきがけの記事になり、トトカルチョマッチョマンズというグループ名や長谷川の報告内容が紹介された。秋田さきがけによる報道はそれで終わりではなかった。この集会をきっかけに、長谷川秋田さきがけの文化部記者の取材を受け、2月になってその記事が掲載された。
「こだま」というタイトルのコラムは、「一月下旬に秋田市で開かれた青年問題研究集会(県連合青年会主催)で、生きのいい青年グループを知った。雄和町を拠点とする『トトカルチョマッチョマンズ』だ。」という文章で始まっていた。コラムはトトカルチョマッチョマンズのコンセプトや活動内容、イーストベガス構想を紹介した後、「いわば目的集団である彼らの活動が、秋田に一石を投じることを期待している。」という記述で終わっていた。
このコラムは、トトカルチョマッチョマンズの活動やイーストベガス構想を単独で取り上げた最初の新聞記事となった。
そして3月、ようやく春の気配が感じられるようになっていた。
長谷川があゆかわのぼるの講演を聞いた日から約1年後の3月16日の日曜日、夢広場21塾ヤング部会主催、トトカルチョマッチョマンズ共催による秋田日産自動車社長・三浦廣巳の講演「秋田をこう変えよう!」が行われた。
会場の雄和町農村環境改善センターの畳の部屋には、トトカルチョマッチョマンズのメンバーたちが口コミで集めた100人を超える若者たちが集まっていた。長谷川は「応援しましょう」と言っただけでなく自ら講演することを提案してくれた三浦社長の気持ちに応えるため、出来るだけ多くの聴衆を集めようとした。
午後2時、三浦廣巳社長は会場に案内され、若者たちの前に立った。若者たちは、部屋いっぱいに並べられた座布団にあぐらをかいていた。その中には、髪を金色に染めた暴走族風の若者も含まれていた。
三浦社長は若者たちに話し始めた。
講演の最初から最後までを貫いたのは、「君たちが持っている可能性は無限大であり、自分自身に限界を作らず、夢を掲げてチャレンジしろ」というメッセージだった。三浦社長はこのメッセージを様々な例を挙げて語った。
三浦社長は誰もが同じ能力を持っていると話した。人の能力は潜在能力と顕在能力から成っており、その全体は誰でも無限大であり、等しい。人によって能力に差があるように見えるのは、顕在能力、つまり表に現れている能力に違いがあるからだ。大切なのは潜在的な能力を顕在化させることであり、そのためには失敗を恐れずチャレンジしなければいけない。
秋田県人の県民性についても触れた。
秋田の人は「ひやみこき」、「足ひっぱり」と言うように、失敗する人を非常にいじめ、失敗しない人を評価する。これでは何もしない人を一番評価することになる。何もしなければ失敗することはないからだ。しかし、これは変えなければいけない。チャレンジしなければ世の中は進まない。したがって、何もせず失敗もしない人には最も低い「C」評価をつけなければいけない。何かにチャレンジして成功した人に最高の「A」評価を与えるのは当然だが、チャレンジした結果、失敗した人にはそれに次ぐ「B」評価を与えるべきだ。
周りからの「刷り込み」により自分自身で限界を作ることを諫めた。
サーカスの象が小さな杭に繋がれておとなしくしている光景を見ることがある。本当は、あんな小さな杭なら象の力で抜いてしまえるのだ。象がそれをしないでおとなしくしているのは、「刷り込み」のせいだ。象がまだ幼く力も弱い時に杭につなぐと、象が全力を出してもそこから逃れることができない。この時の経験で、象には「杭からは逃れられない」という「刷り込み」が出来てしまう。
人間も、親や先生からのマイナスの「刷り込み」で自分自身に力に限界があると考えてしまうことがある。しかし、そんな限界はない。マイナスの「刷り込み」はリセットする必要がある。
三浦社長は、常に挑戦し続けることを説いた。
人は自分の力を現状維持できると考えがちだ。しかし実際には、現状維持はなく、成長か衰退かのどちらかしかない。自分が今もっている能力にあぐらをかき能力の半分しか使わなければ、その人の能力は衰退して半分になってしまう。反対に常に努力し挑戦を続ければ能力は成長し2倍にもなる。
つまり自分の未来は現在の自分の中にある。人はつい「親が悪い、社会が悪い」と考えてしまうが、悪いのは親でも社会でもなく自分だ。現在の原因が未来の結果をもたらす。未来にこういう結果を出したいと考えるなら、現在の原因を変えなければいけない。
三浦社長は90分に渡って講演した。会場の金髪の若者も静かにその話を聞いていた。
三浦廣巳が様々なバリエーションで語った「夢を高く掲げチャレンジし続けろ」というメッセージは聞く者の胸を打った。若者たちはその言葉に力を得、そして勇気づけられた。長谷川敦たちトトカルチョマッチョマンズ・メンバーも同じだった。
講演終了後、トトカルチョマッチョマンズのメンバーたちは打ち上げのためにサラダ館に移動した。それ自体はイベントが終わった際の恒例であったが、その日の打ち上げにはいつもと違う意味があった。
この日の講演会には、長谷川の高校時代の友人、安田琢と奈良真(ならしん)の二人が参加していたのだ。トトカルチョマッチョマンズの集まりに長谷川の高校時代の友人が参加するのは初めてであり、すなわち、この日は長谷川と交友関係のある2つのグループ、雄和中学校グループと秋田高校グループとの初顔合わせだった。
安田琢は前年のゴールデンウィークに長谷川のイーストベガス構想を聞かされ、「秋田に帰って来い」と言われてから秋田での就職活動を始め、秋田魁新報社に営業職での就職が決まっていた。奈良真は、その安田琢から長谷川のイーストベガス構想を聞き、やはり「秋田に帰らなければだめだ」と言われて、秋田市の住宅メーカーに技術職としての働き口を得ていた。二人がこの日の講演前に秋田市に戻ってくることを知った長谷川は、琢と奈良を講演会に誘ったのだった。
サラダ館では、中学校グループと高校グループの初顔合わせと言っても特にセレモニー的なことを行う訳ではなく、いつも通りの飲み会が始まった。トトカルチョマッチョマンズのメンバーたちは、三浦廣巳社長の講演内容に勇気づけられたことや初めての参加者100人超のイベントを無事に成功させたという達成感で、いつになく高揚していた。
長谷川は、雄和中学校グループのメンバーの十数人に個別に安田琢と奈良真を紹介した。雄和中グループは、新しいメンバー2人が少し緊張しているように思いながら、気を遣わせないように配慮して受け入れた。
長谷川敦は、うまく2つのグループが打ち解け合うか内心心配していたが、高校時代の友人たちが雄和中グループの友人たちと気後れせずに話し一緒に飲んでいるのを見て、安堵していた。