特定非営利活動法人
イーストベガス推進協議会

第6章「社会」 1.経営者たち

社会人1年目の長谷川敦は、職業人として生活や仕事の内容にも次第に慣れ始めていた。

学生時代は、ともすれば深夜まで友人と酒を飲み昼近くに起きる日々を送っていた長谷川にとって、8時30分から午後6時30分までの勤務時間に合わせて規則正しく生活することに当初は戸惑いもあったが、毎日繰り返すうちにその生活リズムも次第に身体になじんできた。

彼は会社勤務と並行して夢広場21塾ヤング部会やトトカルチョマッチョマンズの活動を行っていたが、それが可能だった背景には一人の先輩の存在があった。この先輩は長谷川と一緒に仕事することが多かった。営業回りで一緒に遠くの街に向かう車中でのこと、長谷川は自分のイーストベガス構想について先輩に話した。その先輩は会社に入ったばかりの若い社員がそんな大きなことを考えていることにえらく感心し、ヤング部会のある日には長谷川が早く仕事が終われるように配慮してくれた。

長谷川の仕事は経営コンサルタントのアシスタントだった。先輩のコンサルタントと一緒にクライアントを訪問し、コンサルタントが顧客企業と一緒に人事評価制度を作ったり売上高を増加させるための施策を提案したりする際の補助として働いた。具体的にやったことは、コンサルタントとクライアントのやり取りを記録することが主だった。

この頃、長谷川の勤務先であるマスブレーンズコアは「流通問題研究会」という組織を運営していた。これは卸小売業など流通関係の企業経営者や企業幹部をメンバーとし、2か月に一回程度の会合を設けて経営の参考となる講演を聞いたり先進的な取り組みを行っている企業の見学をしたりする研究会だった。
流通問題研究会の運営に関しては、長谷川は会場の手配、メンバーの出欠の確認など裏方としての業務を担当した。

そうした業務の中、長谷川は社会人1年目とはいえ、いろいろな企業の経営者と日常的に接していた。その際、彼は経営者たちが話す言葉の一言一句を聞き逃さず記憶にとどめようと努めた。いずれ秋田で起業するという目標を持つ長谷川にとって、それらの言葉は自分が会社を経営する際の参考になると思われた。

長谷川がコンサルタントと経営者たちの面談記録をとっている時も、経営者たちの企業経営に対する考え方は伝わってきた。経営者たちは様々な個性を持ち、彼等が経営する企業の個性や業績もまた様々だった。順調に売上高を伸ばしている経営者、社内の従業員たちの雰囲気がいいと感じる企業、また感情の起伏が大きくすぐ社員に厳しく当たる経営者など、どの経営者との出会いも将来の企業経営のために勉強になるものだった。

長谷川は、イーストベガス構想を思いついて以降、ほぼ会う人ごとにその「構想」のことを話していたが、仕事の上で会う企業経営者たちに対しても臆せず構想を説明した。
いろいろな企業の経営者と会って世間話をする場面があっても、新入社員の長谷川には適当な話題がなかった。逆に言えば、長谷川にとってはイーストベガス構想くらいしか話のネタがなかったのだ。彼には「構想」を話すことで自分を売り込みたいという気持ちもあった。

その頃、秋田県ではバブル経済崩壊以来の景気低迷が続いており、経営者たちは自社の経営に言及する時、異口同音に経営環境の厳しさを語った。長谷川はそれを受けて次のように話を展開した。

「そうですよね。秋田も昔は秋田杉もあれば銀や銅の鉱山もあって豊かだったんですが、今はさっぱりですね。景気が良くなるのは全国で最後だし、景気が悪くなるのは全国で最初ですものね。しかも、これから秋田県は人口減少や高齢化が全国でもトップスピードで進むから、市場も縮小していくし働き手も減るし、お先真っ暗ですね。」
これらのことは、秋田県内の企業経営者にとっても共通認識だった。その認識に続けて、長谷川は構想を説いた。

「私は解決策として1つの構想を持っています。秋田にラスベガスを作りましょう。」
そんな時、相手の企業経営者は一様に「一体何を言い出すんだ」という顔になった。
それでも長谷川はためらわず、自分の考えをストレートに述べた。
「アメリカのラスベガスには世界中から観光客が集まってきています。秋田にもラスベガスのような街を作って世界中から人を集めましょう。外から人を呼んで栄える秋田を作っていかないと、御社も大変じゃありませんか。この構想はイーストベガス構想といいます。どうですか。ぜひ覚えておいてください。」

長谷川の構想を聞いた経営者たちの反応は基本的に同じだった。
ある経営者は、苦笑いしながら「んだな~(そうだね)」と言った。また別の経営者は、「夢のあることはいいことだ。夢を持って頑張れ」と言った。
誰も正面から「構想」を否定しないが「変わったことをいう元気な若い奴がいるな」くらいに考えているのが見え見えで、まともに取り合っていないのは明白だった。

長谷川は、会社勤務が終わってからも良くトトカルチョマッチョマンズの仲間たちと秋田市の飲み屋でイーストベガス構想の議論をしていた。酔っ払って声の大きくなった長谷川たちの話は他の客にも聞こえた。
そんな時、他の客の中には「構想」に反対する議論を吹っかけてくる人たちもいた。中年男性から灰皿を投げつけられたこともある。
「そんなことじゃだめだ。ギャンブルなんかじゃだめ。真面目にやれ。」
飲み屋で反対してくるおじさんたちの論拠は、大方、「ギャンブルが嫌い」というものか「そんな話、出来るわけがない」というものだった。
若く性格がとんがっていた長谷川はそんなふうに怒って反対してくる人たちに、自分も怒って反論した。

ある日、長谷川は仕事でクライアント企業の1つを訪ねていた。その企業の経営者とテーブルを挟んで面談する場面となり、すでにイーストベガス構想を説くことに営業トーク並に慣れていた長谷川は、その会社の社長に対して構想の説明を始めた。だが、その社長の反応は他の社長たちとは違っていた。長谷川が話す構想を聞いているうちにその表情はみるみる険しくなっていった。その表情を見て長谷川が警戒心を抱き、話すのを止めた時だった。その社長は怒鳴った。
「そんな話を聞くために、時間を割いているんじゃない。」
社長は長谷川との間にあったテーブルに手をかけ、ひっくり返した。テーブルの上にあったペンや書類が床に散乱した。

そこが飲み屋であれば反論したであろう長谷川も、さすがに勤務先のクライアントと喧嘩する訳にいかず、その社長に謝った。