1996年4月、すなわち長谷川敦が社会人としてのキャリアをスタートさせ、夢広場21塾・ヤング部会が「ラスベガスを手本にしたまちづくり」をテーマに活動を始めた月、長谷川はもう一つの行動を起こした。
彼は、イーストベガス構想を実現する推進力となるグループが欲しかった。
夢広場21塾・ヤング部会は「構想化」に地道に取り組む組織だったが、それとは別にもっと自由で、もっとダイナミックな仲間を必要とした。ヤング部会はメンバー数8人であり、オブザーバー的な年上のメンバーを除くと実質的なメンバーは7人に過ぎない。雄和町の事業として行っているという制約もあった。
長谷川が考えたのは、一切の制約無く好きなことができる、もっと広がりのあるグループである。当初のメンバーとなるべき顔ぶれは既に頭の中にあった。
長谷川と付き合いのある友人たちは、大きく2つに分けることが出来た。1つは小中学校以来付き合いのある雄和町の友人たちであり、もう1つは高校時代の友人たちである。この2つは何らかの目的を持ったグループではなく、その時々に集まって遊んだり一緒に飲んだりするというレベルの集合だった。長谷川は、この2つの友人の集合を中心にして、1つの目的を持ったまとまりのあるグループを作ろうと考えた。
長谷川は、将来的にはこのグループが「構想」の推進力になることを期待したものの、最初からイーストベガス構想を前面に出した活動をするつもりはなかった。今まで一緒に酒を飲み、いろいろな企画を考えて遊んできた延長で活動していくことを想定した。
社会性のあるメッセージを発信するというより、自分たちがやって楽しいということを主眼にしよう。一緒にそんな活動をしていく課程で、グループのメンバーにイーストベガス構想を理解してもらい、いずれはイーストベガス構想の推進力となってもらおう。それが長谷川の目論見だった。
まずは、グループに名前をつけ、メンバーに一体感を持たせるのが出発点だ。
長谷川は伊藤敬に電話し、グループ作りについて相談した。
敬は、長谷川の話を聞いてすぐに理解した。そして、その場でグループ名について自分のアイデアを提示した。その名前はここ数日の間、時おり頭に浮かんでいた言葉の連なりだった。
「敦、名前だけどさ、『トトカルチョマッチョマンズ』っていうのはどう?」
「トトカルチョ」とはイタリア語でサッカー賭博のことを指し、「マッチョマン」は筋肉隆々の男を指す日本で使われる俗語である。しかし、それらの意味とグループ名としての「トトカルチョマッチョマンズ」にはまったく関係がなく、敬は単に音の響きだけからこの名前を思いついたのだった。彼は、「チョ」という音と「マ」という音が繰り返されるリズムが面白いと思った。
敬のアイデアを聞いた長谷川は即答した。
「面白いな。いいんじゃない。」
こうして、一瞬にしてグループ名は「トトカルチョマッチョマンズ」に決まった。
長谷川はトトカルチョマッチョマンズのコンセプトを考えた。この集団の性格、ミッションを一言で表すとすれば何か。友人たちをグループに誘う際にも、それを説明できなければならない。
長谷川は、3月に聞いたあゆかわのぼるの講演にえらく触発されていた。特に「秋田県が若者地獄だ」というあゆかわの言葉が胸に残っていた。
これを逆手に取ってコンセプトにしよう。秋田が若者にとって地獄なら、それを嘆いていたところで100年経っても状況は変わらない。秋田がつまらない所ならば、俺たちがそれを楽しい所に変えてやろう。それは社会のためじゃなく自分たちのためだ。今、秋田に楽しいことがなければ、俺たちが楽しいこと、面白いことを創り出すんだ。
「つまらない秋田を楽しい秋田に作り変える」長谷川はトトカルチョマッチョマンズのコンセプトをそう決めた。そのコンセプトの先には、イーストベガスの実現があるはずだった。
斎藤美奈子がメンバーを募集するパンフレットを作った。そのパンフレットには「トトカルチョマッチョマンズとは?」というタイトルの下に次のように記した。
私達“トトカルチョマッチョマンズ”は、いわゆる「青年活動」を清く、正しく、美しく行うことを目的とした集団ではありません。むしろ週末に川反辺りでウロウロしているような若者が、自然発生的に団結して結成された『チーム』のようなものです。よってトトカルチョマッチョマンズのコンセプトは「こんなにも田舎臭くてつまらない我がふるさと秋田を変えよう!良くしよう!楽しくしよう!」です。20年以上も秋田に住んでいれば誰もが思うはずのことでしょうが、それを実行しようというのがトトカルチョマッチョマンズです。
パンフレットにある「トトカルチョマッチョマンズ登録条件」は次のとおりだった。
1 トトカルチョマッチョマンズのコンセプトに基本的に合意していること。 2 若者であること。(若者であるとは年齢が若いということではありません。以下にアメリカの詩人サミュエル・ウルマンの「青春という名の詩」を引用しますが、あなたがこういう心を持っていれば、たとえ何歳であろうが文句なしに“若い”のです。) 青春とは人生のある時期をいうのではなく心の様相をいうのだ。 優れた想像力 燃ゆる情熱 怯懦をしりぞける勇猛心 安易をふり捨てる冒険心 こういう様相を青春というのだ。 年を重ねただけで人は老いない。 理想を失うときはじめて老いがくる。