その年の1月、第一次橋本内閣が発足していた。数次に渡る政府の経済対策もあって景気は幾分持ち直しの気配を見せていたが、3月に太平洋銀行が破綻するなどバブル経済崩壊の影響は日本経済に濃い影を落としていた。
そんな経済状況の下、秋田市で経営コンサルタントのアシスタントとしてキャリアをスタートさせた長谷川敦は、就職して最初のゴールデンウィークを迎えた。雄和町の自宅にいた長谷川に一本の電話が架かってきた。それは高校時代の友人、安田琢(やすだたく)からだった。
一浪して高崎経済大学に入学した琢は、大学4年生だった。彼は、ゴールデンウィークを利用して大学のある群馬県高崎市から秋田市に帰省して来ていると言った。すぐに「飲もう」ということに話はまとまった。
長谷川と琢は、高校2年の時に同級生になった。お互い日本史が好きだという共通点もあって長谷川は快活な性格の琢とすぐに打ち解け、毎日のように一緒にマージャン卓を囲み、カラオケで歌う遊び仲間となった。二人は高校卒業後も連絡を取り合い、琢が帰省して来た時などは一緒に飲んでいた。
ゴールデンウィークも終盤となった日の夕方、二人は、秋田市川反の居酒屋で会った。
誰かにイーストベガス構想のことを話したくてたまらない長谷川にとって、会う人間は誰でも構想を話すべき相手だった。ただし、その中でも安田琢は、特に構想を話さなければならない対象だった。
夢広場21塾・ヤング部会は雄和町の事業という関係もあり、部会メンバーとしてイーストベガス構想に取り組んでいる仲間は、全員雄和中学校の時の友人たちだ。長谷川には、中学時代の友人だけでなく高校時代の友人たちもイーストベガス構想に巻き込みたいという思いがあった。
長谷川が秋田高校に入学して出会った友人たちは、小学校以来付き合ってきた雄和町の友人たちとは異なるキャラクターを持っていた。受験競争を勝ち抜いて県内有数の進学校に入ったという成績の良さだけでなく、知らない分野の本を読んでいたり、思いがけない趣味を持っていたり、新しい企画を考えて周りを巻き込む行動力があったり、様々な刺激を与えられる存在だった。高校時代の友人たちをイーストベガス構想に巻き込むことが出来れば、雄和町の友人たちとは違う面で能力を発揮してくれるに違いない。長谷川はそう考えた。
高校時代の安田琢は軟式テニス部に所属していたが、テニスに打ち込んでいる風でもなく、マージャンやカラオケで毎日を過ごしているように遊び好きで、そして目立ちたがりだった。しかし、ただの遊び好きではなく、3年生の時は学園祭で司会をし、学級対抗のスポーツ大会では実行委員長を務めるなどフットワークが軽く、みんなをまとめる力を持っていた。
高校の友達で最初に「構想」実現のために力を貸りるとしたら、琢しかいない。何でも気安く話せる関係だという理由もあって、長谷川はそう考えていた。
居酒屋は、ゴールデンウィークの休暇を持て余していると思える学生やサラリーマン風の客でそれなりに混んでいた。二人は席に着くとビールと2、3皿の料理を注文した。長谷川は、近況報告もそこそこに秋田の人口問題を話し始めた。
「琢、秋田県の人口が一番多かったのはいつだか分かるか?」
「え、ピーク?いつだろう。正確には分からないな。」
「秋田県の人口のピークは昭和31年、西暦で言うと1956年、つまり、だいたい俺たちが生まれる18年前。この年、秋田県の人口は約135万人だったんだ。今の人口は分かるか?」
「今は分かるよ。だいたい120万人だべ。」
「そう。すでにピークから15万人減っている。そして、人口はこれから加速度的に減っていくんだ。今から14年後の2010年には104万人、そして2025年には80万人を切って79万人になる。」
「79万人?今から40万人減るのか。と言うことは、今の四分の三になるんだ。」
ここで、琢は頭に浮かんだ疑問を口にした。
「でも、それって予想でしょう。本当にそうなるの。」
長谷川は即答した。
「このまま黙っていれば確実にそうなる。あらゆる未来予測の中で、人口予想が一番正確なんだ。今から10年経てば、今20歳の人は生きている限り必ず30歳になるし、今50歳の人は必ず60歳になる。ということはよ、10年後の60歳の人口は今の50歳の人口を見ればほぼ正確に分かる。これは戦争みたいな大変動でも起こらない限り必ず当たるんだ。」
運ばれてきたビールも手伝って、その口はますます滑らかになっていた。長谷川は話を進めた。
「数が減るだけじゃない。年齢別の割合も、それはもう、大きく変わる。65歳以上の人口を老年人口って言うんだけど、秋田県の老年人口の割合は2010年に28.4%で全国1位になる。つまり、秋田県は全国で一番年寄りの割合が多い県になっちゃうんだ。」
長谷川は、ヤング部会での学習や繰り返し熟読した「秋田をこう変えよう!」のおかげで、この辺の数字は空で言えるようになっていた。
琢はさすがに少しショックを受けたようだった。
「全国一の老人県か。今はそうじゃないの?」
「今はまだそうじゃない。だけど、いったん全国一の老人県になったら、そのまま秋田県はずっと老年人口率一位で突っ走る。」
長谷川は続けた。
「琢、人口が減って、その中で老人の割合が高くなったら、どうなると思う?」
琢はすぐに話の流れを読んだ。
「ただでさえ人が減っているのに、その中で老人が多いってことは、働き盛りの人たちが少なくなるってことだな。」
「その通り。社会の中心になって働く人口が減っていくから、生産活動もマイナスの影響を受けるし、当然消費も減る。つまりは秋田県の経済は衰退の一途をたどる。」
「そうなのか。」
琢はジョッキのビールを口に含むと、少し黙った。友人から突きつけられた現実に戸惑っていた。長谷川の説明によると、それはあやふやな予想ではなく確実に訪れる未来の秋田の姿だという。
長谷川はとどめを刺すように付け加えた。
「この前、秋田の経済人のグループが作った本を読んだんだけど、座談会の中で、ジャーナリストが『秋田県は確実に滅びの道を歩いている』って言っている。」
「暗いじゃないか。」
そう言った琢に、長谷川はオウム返しで答えた。
「暗いんだ。」
表情まで暗くして言う長谷川を見て、琢は不思議な気持ちがした。せっかく久しぶりに会ったっていうのに、なんで長谷川はこんな暗い話題を持ち出すんだろう。
琢の気持ちを見透かしたように長谷川は口調を強めて言った。
「秋田で生まれて育ったんだから、俺は秋田が好きだ。だけど、このままだと、好きな秋田は終わる。終わる前に何とかしたい。琢、一緒に秋田を変えよう。」
琢はすぐに聞いた。
「変えるって、どう変えるの?」
長谷川は卒業旅行で行ったラスベガスの話をした。
「2月に、アメリカのラスベガスに行ったんだ。」
「ああ、聞いたよ。どうだった、ラスベガス?」
「すごかった。衝撃だった。世界中から観光客が集まって来てたんだ。」
長谷川は、琢に問いかけた。
「琢、その世界中から人が集まって来ているラスベガスの街はどうやって出来たか分かるか。」
「どうやって?」
琢は質問の意味が分からないかのように、繰り返した。
長谷川は語った。
「行ってみれば分かるけど、ラスベガスはもともと砂漠で、とても人の住むような土地じゃない。その砂漠の真ん中に、一人のギャングが女のために1軒のホテルを建てたんだ。」
砂漠の中の1軒のホテル。琢は、脳裏にそのイメージを思い浮かべた。
「その1軒のホテルに客が集まって来るようになると、隣に2軒目のホテルが出来た。そうして、だんだんホテルは増えていった。ホテルの数が増えていくと街に集まる客も増え、街の住民も増えていった。それが、今や世界中から観光客が集まる百万都市、ラスベガスだ。」
長谷川の言葉は次第に熱を帯びた。
「琢、俺たちは秋田にラスベガスを作ろう。」
「ラスベガスを作るぅ?なんでラスベガスを秋田に作る?」
琢は、話の急展開について行けなかった。琢の問いに長谷川は自分の論拠を述べた。
「秋田は東京のような都会じゃないし、文化都市でもない。京都のような千年の都でもなければ、歴史的な建造物もない。ハワイのように暖かくもなければ、青い海を望む白いビーチもない。だけど。」
「だけど、何?」
琢は続く言葉を促した。何もない秋田にあるものは何なのか。長谷川は言葉を継いだ。
「だけど、秋田には土地がある。何もないから、何もないところから何でも作れる。琢、秋田を一から作っていこう。その見本になるのは、世界中探したってラスベガスだけだ。」
二人とも、皿の上の料理にはあまり手を付けず飲み続けていた。すでに2敗目のジョッキが空になっていた。琢は質問を続けた。
「秋田は何もないから何でも作れるっていうのは、まず、いいとする。ラスベガスも何もない砂漠の上に作ったっていうのも分かった。でも、なんでラスベガスを手本にしなきゃいけないんだ?」
長谷川は琢の質問に、別の質問を返した。
「琢、ラスベガスにあって、秋田に一番欠けているものは何だと思う。」
「ラスベガスにあって秋田にない…。ホテル?あ、カジノか?」
長谷川は応えた。
「ホテルも、カジノも、表層の現象でしかない。ラスベガスにあって秋田に一番足りないもの、それは魅力なんだ。」
「魅力?」
意外にも単純な答えだった。長谷川は続けた。
「ラスベガスが世界中から人を集めることが出来るのは、人を徹底的に楽しませる魅力があるからなんだ。秋田には魅力がないから、外から人がやって来ないし、逆に若い人がみんな離れていく。ホテルもカジノも、ラスベガスの魅力を作り出す構成要素の一つなんだ。」
長谷川の言葉の熱っぽさを感じながらも、話があまりに途方もなくて、琢は語り続ける長谷川と同じように熱くなることは出来なかった。彼は、長谷川のアイデアを全否定した。
「無理、無理、無理。そんなの夢物語だろう。秋田にラスベガスを作るなんて絶対に無理。」
3杯目のジョッキもすでに底をつきかけ、かなり酔いが回っていた。
長谷川は聞いた。
「琢よ、なぜ無理だと言う。最初から無理だと思うから出来ないんだ。」
琢も自分の判断を引っ込めなかった。
「敦はそんなこと言うけど、じゃあ、法律はどうする。日本ではギャンブルは法律で禁じられている。その日本にカジノなんて作ることは出来ないべ。」
その質問は、サラダ館での伊藤敬の質問と同じだった。ただし、今夜の長谷川はあらゆる反問を退ける答えを用意していた。
「確かに、日本の刑法は賭博を禁じている。だから、今は刑法という障害があってカジノを日本に作ることはできない。だったら、法律を変えればいい。法律という障害は排除すべき対象にすぎないよ。」
「そんなこと言っても、どうやって法律を変える。」
「琢、法律を変える方法は法律家にまかせればいい。俺たちが法律家になる必要はない。」
琢も黙ってはいなかった。長谷川に、次々に疑問をぶつけた。
「仮にだよ、仮に法律問題が片付いたとしても、ラスベガスみたいな百万都市を秋田に作るって言ったら、物理的に何十年もかかるんじゃないか。どうやって街を建設するの。」
「物理的に街を建設するのは、建設業者の仕事だろう。俺たちが建設業者になる必要はない。建設業者を巻き込めばいいんだ。障害は排除すべき対象に過ぎない。」
琢も言い返した。
「それはそうだよ。俺たちが自分でビルを建てるなんて出来ないし。もちろん建物や道路や建設するのは建築業者の仕事だよ。でもよ、建築業者にそれをやらせるには途方もない金がかかるだろう。敦、その金はどうやって調達する。」
長谷川は三度、同じ論法で応じた。
「百万都市を建設するには、それだけの金が必要だ。けど、俺たち自身が億万長者になる必要はない。金持ちを巻き込めばいいんだ。資金問題という障害は排除すべき対象にすぎない。どんな障害も結局は排除できる。」
何に基づく自信なのかは分からなかったが、どんな疑問をぶつけても長谷川の言葉は自信に満ち、考えに揺るぎはなかった。
長谷川は琢に語った。
「俺たちには何もない。法律知識もないし、建設機械もないし、金もない。何もないけど若さはある。何もなくて若さだけがあるから出来るんだ。」 その言葉は熱かった。
「何も持ってないからこそ、俺たちの未来は明るいんだ。まずは動こう。」
二人とも十分に酔いが回っていた。琢の目には、どんな反問にもびくともせず自分の考えを語り続ける長谷川は、揺るぎない根拠を持っているように見えた。琢は聞いた。
「そうなのか。じゃあ、俺は何をすればいい。どの分野をやればいいんだ。」
長谷川は答えた。
「そうじゃない。どの分野をやるとかの話じゃなく、俺と一緒にやればいい。琢、秋田に帰ってこい。秋田に帰って来て、一緒にやらないとだめだ。何をやるかではなく、誰とやるかだ。琢、俺と一緒にやろう。」
最初、長谷川の考えを全否定した琢は、今やその構想をまるで自分が考え出したアイデアであるかのように思っていた。琢は長谷川に言った。
「よし、一緒にやろうぜ。」
二人は握手を交わし、記憶もあいまいになるまで、したたかに飲み続けた。
その時、安田琢は翌年の大学卒業を控えて就職活動中だった。仙台市の観光開発会社からは内定をもらっており、その他にも首都圏の数社には並行して就職活動を継続していた。
ゴールデンウィークが終わり高崎市に戻った琢は、内定をくれた観光開発会社を含め、就職活動をしていた全ての会社に断りの連絡を入れた。
すでに琢の中では、卒業後、秋田に戻る道が既定の事実となっていた。
(続く)