第5章「集団」 2.ゴミ拾い大会
結成されたトトカルチョマッチョマンズは、早速活動を開始した。当初のメンバーは、長谷川の雄和町の友人たちであり、その中には、長谷川と付き合っていた高橋美由紀もいた。伊藤敬や鈴木美咲、斎藤美奈子ら夢広場21塾・ヤング部会の同級生たちはコア・メンバーとして加わった。サラダ館でイーストベガス構想に反対した加…
第5章「集団」 1.トトカルチョマッチョマンズ
1996年4月、すなわち長谷川敦が社会人としてのキャリアをスタートさせ、夢広場21塾・ヤング部会が「ラスベガスを手本にしたまちづくり」をテーマに活動を始めた月、長谷川はもう一つの行動を起こした。 彼は、イーストベガス構想を実現する推進力となるグループが欲しかった。 夢広場21塾・ヤング部会は「構想化…
第4章「始動」 4.サラダ館合意
第4章 「始動」 4 サラダ館合意 6月、水を湛えた田んぼでは若いイネが生育を初めていた。見渡す風景の中、雄物川両岸の平地一面に広がる水田の明るい緑と、背景となる山の木々の濃い緑ははっきりしたコントラストを成していた。 長谷川敦と雄和の仲間たちが夢広場21塾・ヤング部会に集まって以来2か月余が経過し…
第4章「始動」 3.対話
その年の1月、第一次橋本内閣が発足していた。数次に渡る政府の経済対策もあって景気は幾分持ち直しの気配を見せていたが、3月に太平洋銀行が破綻するなどバブル経済崩壊の影響は日本経済に濃い影を落としていた。 そんな経済状況の下、秋田市で経営コンサルタントのアシスタントとしてキャリアをスタートさせた長谷川敦…
第4章「始動」 2.バイブル
九州、そして本州を北上した桜前線は秋田県に到達した。桜の花びらが舞う中、長谷川敦と仲間たちは夢広場21塾・ヤング部会の活動を開始した。 彼らは部会を1~2週間に1回のペースで開いた。 開催日と決めた平日の夜、長谷川はマスブレーンズコアでの仕事を終えると秋田市から自分の車で雄和町に戻り、その足で改善セ…
第4章「始動」 1.最初の仲間
北国秋田に春が訪れた。上空を低く覆っていた灰色の雲は去った。平地の雪はほとんど溶け、桜の蕾こそまだ小さく固いものの、草木が芽吹き初めていた。秋田大学教育学部を卒業した長谷川敦は、この年の4月、社会人としての歩みを始めた。 1990年の株価暴落に端を発するバブル経済崩壊から数年、日本の景気は冷え込み、…
第3章「構想」 3.反応
雄和町は雄物川の下流域にある。町役場近くに架かる水沢橋の辺りで、雄物川の幅は優に100メートルを超える。冬が終わろうとする時期、川は雪解け水を集め流量を増していた。水沢橋から続く堤防の横に、その店、サラダ館はあった。 客たちが「おかあさん」と呼ぶ女主人が一人でやっているサラダ館、正式に言うと「カフェ…
第3章「構想」 2.恋人
長谷川敦は、自分が考え出したプロジェクトに瞬時にして夢中になった。秋田を生まれ変わらせる「イーストベガス構想」、それは考えれば考えるほど完璧なものに思えた。この構想は秋田を実際に変える力を持っている。とは言え、砂漠の上にラスベガスを築いたように、一つの街を丸ごとゼロから作るプロジェクトだから、完成ま…
第3章「構想」 1.誕生
長谷川敦は自分のベッドで目を覚ました。頭がズキズキ痛む。もう昼頃だった。 昨夜は、講演を一緒に聞いた伊藤敬や同年代の雄和の知人たちと、川反で夜更けまで飲み続けた。その後、どうやって自分のうちまで帰って来たか、おぼろげな記憶すらない。ただ、川反で飲みながら皆が熱くなって話していた光景は覚えていた。 秋…
第2章「現実」 4.議論
「えー、あゆかわのぼる先生、ご講演、ありがとうございました。」 再び司会の席に立った浦山勇人の声で、長谷川敦は我に返った。 「それでは、本日、大変有意義なご講演をしていただいたあゆかわ先生に、改めて感謝の気持ちを込めて拍手をお贈りしたいと思います。」 約10人の聴衆は、浦山の言葉に応じてパチパチと拍…
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